昨今、歯科業界では「型取りのないデジタル治療」「即日仕上がるセラミック」といった言葉が躍っています。患者さんにとって多大なメリットがあるように思えるかもしれません。
しかし、自分は歯科技工士さんの職人の技を超えるものではないと考えています。現在の口腔内スキャナー(IOS)が抱える限界を紐解いてみたいと思います。
キビキノ歯科が、現時点で口腔内光学印象を導入しない理由(特に自費治療の高精度が要求されるもの)を、事実をもって明確に説明します。
目次
1. 口腔内という「過酷な環境」と形成の制約
模型の上(In Vitro)とは異なり、実際の患者さんの口の中(In Vivo)には、唾液、血液、不随意運動、そして器具の進入を阻む狭いスペースという制約が存在します。
光には物理的な質量がありません。シリコーン印象材のように「物理的な圧力で歯肉を押し退け、浸出液を排除してマージン(歯と補綴物の境目)を採得する」ことが不可能です。光が届かない場所は、データ上存在しないことになります。理想的な光学印象を行える条件が整う機会は、ストライクゾーンがかなり狭く現実の臨床において極めて限定的です。
2. 学術データが示す「精度のばらつき」
どれだけ高額なシステムを導入しようとも、データ取得の環境によって一次データの精度は以下のように大きな差がでます(Flüggeらの研究ほか)。
- 技工所の据え置き型ハイエンドスキャナー: 平均誤差 10 μm / ばらつき(RMSE)20 μm
- 模型上でのスキャン: 平均誤差 25 μm / ばらつき(RMSE)51 μm
- 口腔内での直接スキャン(IOS): 平均誤差 50 μm / ばらつき(RMSE)73 μm
同じ機械、あるいはそれ以上のシステムを用いても、口腔内に持ち込んだ瞬間にデータのばらつきは技工所の専門機械に比べて3倍以上に跳ね上がります。
さらに、歯肉縁下にマージンが及ぶ場合やわずかな出血、唾液のコントロールができない下顎など悪条件下では、局所的な誤差が 100〜200 μm以上 に達することが Nedelcu らの研究でも証明されています。無歯顎や多数歯欠損におよぶ長スパンのスキャンにいたっては、画像の繋ぎ合わせ(スティッチング)エラーが蓄積し、200〜300 μm という致命的な歪み(Enderらの研究)を生じさせます。
詳しく解説(AIの力を借りた計算です(笑))
技工所の据え置き型ハイエンドスキャナー
- 平均誤差 10 μm / RMSE 20 μm
- $SD = \sqrt{20^2 - 10^2} = \sqrt{300} \approx 17.3 \mu m$
- 95%が収まる誤差範囲($\text{Mean} \pm 2SD$): -24.6 μm 〜 44.6 μm
【分析】
最大の誤差が「約45 μm」。自費診療の理想として据えている「50 μm」という数字と、物理的な限界値が一致している。最終的な適合を50 μm前後に着地させることが理論上可能(とても難しいけれど)。
模型上でのスキャン(模型上 IOS)
- 平均誤差 25 μm / RMSE 51 μm
- $SD = \sqrt{51^2 - 25^2} = \sqrt{1976} \approx 44.5 \mu m$
- 95%が収まる誤差範囲($\text{Mean} \pm 2SD$): -64.0 μm 〜 114.0 μm
【分析】
環境が理想的な机の上で模型をスキャンですら、誤差の最大値は「114 μm」。ギリギリ120 μmのラインは下回っているように見えるけれど、スキャンのデータ上の話。
実際はこのデータをもとにミリングマシンで削り出せば、当然そこに「機械の切削誤差(20~40μm)」が足し算される。つまり、模型をIOSでスキャンした時点で、最終的な被せ物のマージンは120 μmを超える可能性が日常的にありえます。
口腔内での直接スキャン(口腔内 IOS)
- 平均誤差 50 μm / RMSE 73 μm
- $SD = \sqrt{73^2 - 50^2} = \sqrt{2829} \approx 53.2 \mu m$
- 95%が収まる誤差範囲($\text{Mean} \pm 2SD$): -56.4 μm 〜 156.4 μm
【分析】
削り出す前のデータの段階で、すでに最大「156 μm」のズレ。ここに機械の誤差が乗れば、200 μmという保険の金属冠レベルの隙間が誕生するのは必然で、許容限界を超えます。
3. 保険の精度すら維持できないリスクと、ソフトウェアのアルゴリズム
歯科における不適合の基準(McLean & von Fraunhofer, 1971)では、二次カリエス(むし歯の再発)を防ぐための臨床的許容限界(最低ライン)は 120 μm以下 とされています。
一般的に保険の補綴物は精度が悪く虫歯になり易い等と自費を勧められることが多いと思います。
この精度が悪いと言われる補綴物の精度は200~300μmと言われています。
口腔内スキャンで得られた「ばらつきの大きいデータ」に、ミリングマシン(削り出し機)の加工エラー、そしてセメントの厚み(〜20 μm)が加算されれば、最終的なマージンギャップは一瞬でこの 120 μm を突破します。
現在の優秀なCADソフトウェアは、光が届かずデータが欠落した部位を、周囲のデータから推測して(アルゴリズムを用いて)綺麗な曲面として勝手に自動補完してしまいます。画面上では完璧に適合しているように見えても、それは実際の歯牙の形ではなく、AIが都合よく描いた推測によるデータです。これに合わせた補綴物が、精密な自費診療のクオリティに達することはできません。
模型があれば、実物をみて補完できます。
キビキノ歯科で行っていること
シリコン印象材を用いた精密なアナログ印象と、顕微鏡下で模型を調整する高い技術をもった歯科技工士の手技。この両者が生み出す適合精度は、現行の口腔内光学印象のクオリティとは未だ天と地ほどの大きな差があると考えています。
自分たちが目指す自費診療のゴールは、最低でも100 μm 、目指すところは50 μm (セメントスペース8〜20μm、模型のごくわずかな変形の可能性を担保する限界値 )という極限の適合です。0μm じゃないの?と思うかもしれませんが、0μmでは、セメントの厚さ分浮くことになります。もし作ることができたとしても良い補綴物とはなりません。むしろ欠陥品になってしまいます。
患者さんにとっても歯科医院にとっても「早くて手軽」という利便性の裏で、修復物の寿命や虫歯のなりやすさという最も本質的な価値が犠牲になるのであれば、キビキノ歯科が目指す自由診療とは乖離しています。
これらの本質的な価値が真に改善されない限り、キビキノ歯科では口腔内光学印象を取り入れることはありません。
まとめると
一般的に保険の補綴物は精度が悪く虫歯になり易いと言われ、その補綴物の精度は平均して200~300μm程度と言われています。
セラミックだから、自費だから精度が良いということはありません。
これまで述べてきた通り、精度を追求するためには避けて通れない手技や過程があります。
それらを行わない工程は精度を担保することはできません。
自費=精度が良いというのは幻想に過ぎません。
全工程をデジタル化するとデジタルのない時代の職人技を再現することはできずに精度の悪いものができます。結果的に適合精度は虫歯になり易いと言われる200~300μmを超えるものもあります。
一方で、弱点や欠点を理解しそこをアナログで補ってあげることで高度な職人技をより少ない労力で再現することはできます。その組み立てがきちんとできているか、できていないかがデジタルを使いこなしているかいないかの違いになっていると考えます。
ですので、「即日仕上がる」や「光学印象」、「型取り不要」という文言をみかけたら注意してください。精度面が犠牲になっている可能性が高くなります。口腔内の光学印象の精度は現時点では最高の環境で最高の手技(実現できない領域)が伴ってもシリコンによる印象には及びません。
キビキノ歯科では自由診療において、精度が良いことで健康面で良い影響が期待できるということに価値を見出しています。今後も精度が担保されない限りはIOSを取り入れることは考えておりません。
